太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

数年前の生きるコツは希死念慮を拗らせることだが、今は必要ない。
余りに生きやすいのか。死を含まなければ生きられないのか。明確な理由を伝えられない。
歳をとる。自分を選択すること。
同一の行動も意味が変容する。過去自殺は生きる未来を放棄する閾であるが、今は早めに死を選ぶだけでしかない。同じことだけど、感覚が違う。
自分自身で言葉を選ばないと書けない過去は離れる。これからの自分は自分以外を確実に見つめて行為する結果を言葉にする。
今週はいろいろな場所と時間帯を生きる日々。仕事に私が圧迫されて、調子が崩れて書くことを放棄する一幕と出会う。生きているなら、書くことをやめるなよ。僕は僕に説教する。圧迫説教。
浅ましい過去の想いから、今の私にアップデートしていく。
毎日自分は成長する。自分を救うのは自分だ。くれぐれも勘違いせず今日を行きます。
何かに自分を熱中すると、そのぶん見返りがある。
跳ねっ返り。
押し隠す死への欲望が現れる。
そうです。
私も死にます。
いろいろなことが返ってきます。
未来を犠牲して、利益を得る。
現在を愛するために、犠牲となるモノの反発を受け止めます。
逃げる事が得策だ。なんの利益にもならない。
僕は逃げない。
僕は自分の行為に責任を持てない人間だから、受け止めることを強制する。何かをする事は何か駄目になるものだと理解したいから逃げない。
一生はかけがえがないなんて思わない。
断定する事は気分だ。
気分に殺される。しかし、気分を台無しにしない。矛盾だ。
行為は僕でない。何か、不純を純粋に塗り替えたところで僕が偉くなるわけでない。僕は何をしても変わらない。衰えていくだけ。死ぬだけ。
生きる。逃れられない。自殺を選ぶか、選ばないか。僕は選ばない。
愛することを選ぶから、幸せか。個人の感慨に意味は生まれるか。
いいえ。
事実を言葉にして、強い私をみる。
強くなりたいから、書きます。
そこに意味はない。
誰と何をしようが、不老不死にはならない。
細胞が活性するのをやめると想いが生まれない。
ろくでなしの死。
続かないことが恐ろしい。
あたりまえがなくなる。
怖い。
どうするのか考えを続けなければ終わる。
終わりたくないなら、努力すること。
今までの世の中と等しく生きる。
答えは明白である。
運命的な道筋で自殺を選んでいるっ!
生きることを選ばない限り、自殺だ。
だから僕は暗いのだ。
理解する。
自分のための文章。

有・有・有・有。
そんな筈はない。
有無を不規則に繰り返す。その連続で強くなる。
定義づけが困難な先で性能の神様は笑っている。
有を手に入れていくためにどれほどの無が必要かという話だ。
無を確保するプロセスを形作って行かなければならない。
熱中すること。確保されること。
愛を信じるしかない。