太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

向き合えますように

久しぶりにブログを書く。もう書かないかと思っていたが、自分のどこに収めるのがいいのかと考えるとここが一番いいかと思い書くこととした。

僕は何か不都合なことがあると、自分の明るい部分に縋り付く。自分にとって可能だった未来。あり得なかった未来の性格ならばこの問題は解決できたであろうと思い、縋り付いてしまう。
おかしい。僕はそっちの道は行かないって選択したはずなのに、どうしてもいつまでも呪いのように頭の中で動いているのか。
僕はそっちの方向では本当のところ生きて行けるように思っている。まだ可能性はあるよって頭の片隅で考えている。決断するにしても無理やり存在する選択肢を浮かび上がらせて、断つ。そのような不健康な生き方を選んでしまう。
どうして僕は未来を捨てきれていないのか。どうして僕は現実を認められないのか。僕の過去と今と未来はどのように存在を許されているのか。
僕は不純で矛盾な自分が嫌いだ。今の自分自身の認識がとてつもなく不確かでそれをなんとかしようにも不健康で不確かでどうやろうとしても頭の中では確実ではなくて、屋上から飛び上がって太陽に向かって飛ぼうぜ、ヤッホー!!ぐらいのテンションで世界を語らなければその域には達せないだろうけれど、そのためには何かやらなければならないけれど何もできなくて、非常に自分という人間に嫌気がさしている。このような形で文章を形成するほかない自分も嫌いで、しかし望む自分が一体どのように生きていくのかという理想像すら頭の中には浮かばずただただこうありたかったなという中身のない形象だけが僕の心の中に存在して、そのくせ何もできない。いやだ。
どうありたいのか。現在の自分自身のあり方は自分なりにしっかり進んでいるけれども、僕は僕という形象にうまくはまり込んでいないという感慨を覚えて素晴らしいほどにムカついている。僕は僕に怒っている。
この形象への怒りは本当のところ僕自身の形としては相応しいものなど存在しないのに、つまり馬鹿みたいな感情。
つまり現状と本気で融合できないなんて君は本当最低だねって甘えた若者の遠吠え。そう気づいているけれどそれに縋り付くってことは本当に子供なんだよ。子供でいることは悪くないけれど、とてつもなく悔しいって感情はある。変わりたい変わりたい。何に変わるかなんてわからないけれど変わりたいのだ。その思いだけが常に強い。
甘えた若者の遠吠えが上手くまとまったとは違う世界でなんとか形となって発揮されるように行きたい。

現状の抱え方がそういうもんだからなんていうか戦いづらい。
それは今までのツケのように思う。
僕の好きな人に対して僕の醜さ、酷さばかりを伝えて、発揮してて。はっきり言って最低だと思う。申し訳なく思う。
しかしあの人は僕のそのような気持ちに対して何の感慨を覚えないし、むしろ冷たくあしらうだろう。僕はそれがとてもありがたい。正直言ってまだまだあなたには相応しくないし、ふざけているよねっていつも思う。
前に比べて自分から話しかけには行けるようになったけれども、だからといって何かが変わったかというと変わっていない。
あなたに対して見透かされる自分自身の甘さ、弱さ。今の僕が考えているとはまた別の地点で物事を考えてもっともっと言葉から受ける感慨とは別のまともさを築けるようになりたい。
なにか曖昧な僕の世界への気づきが大きく変わりながら掴んで行けるようになることを望んでいる。
未来を想像するとあなたとは離れていくのではないかと頭をもたげる。そのことに対してあまりいい感触を覚えないけれども、あの人と僕との関係において、絶対的にあの人にもたげないような生き方を僕はして生きたい。僕はあの人に存在を認められる生き方を推奨していきたい。それが実際のところ自分のどこから生まれてきたものかはわからないけれども、僕は今の僕はとてつもなく与えれていて、たまたま上手く符合がはまり込んだ結果となりに姿を確認できるだけで、ただそれだからこそ、そうではない方法でいつか出会えることを僕は待ち望んでいるのだ。その可能性は限りなく低いけれども、僕はあなたのことを好きで好きで大好きで、素晴らしくて尊敬に値する人間のように感じるからこそ、その与えられた幸せをあなたに対して自分自身の方法で爛れていない、無茶でもない、大きく星と星が見つめ合うような方法で出会えることを夢見ているのだ。
それにしても本当に毎回毎回自分の嫌なところばっかり見えて嫌になる。あの人は僕自身とはかけ離れた部分、しかし確かに存在する部分で生きているから、僕とは違う論理で生きているように感じる。
僕はどのようにかしてあの人がどのように生きているのか考えようとしているがよくわかんない。
僕はあの人からしたら、あっそ。で終わる人間だと思う。
僕は僕自身のこれまでとこれからをどのように向き合っているのか毎日考えている。
相手に対して甘えていたり、甘えたい感情が出て今日の僕はすごく自分のことがいやになった。
もっといい方法、宝石のような会話があるんだろうけれど、僕はそれができない。
なにか途中で切れてしまうけれど、特に書くことがなくなったように思う。僕は僕なりに若さと向き合い、若さを壊すことができない苦しさを覚えながらも毎日生きていくように思う。
いつかあなたの横を歩くことを夢見ているけれどもそれは夢の話かもしれない。僕はあなたに対して僕の気持ち、僕が考えられる限りのあなたの説意を伝えていくけれどもそれがどうなるかというと何にもならない。なって欲しいとは思うけれども、人間の行為の結果ってそうやって生まれるものではないし、こうやって話している限り自己満足でしかないから伝えるものではない。
こういう話を書いていると、あの人は絶対に、馬鹿かこいつ?という思考を描く。だからって自分は自分なりに相手に伝える方法を考えて、決して妥協しないよ、だからってなんだよっていう気持ちで向き合っている。
人と人が一緒にいたりいなかったりよくわかんない。
若さという未確定さ、未経験さに対する疑問が今の埋めようとする僕を生んでいる。
この人と一緒に生きたい。だから別の選択肢は全て見えるけれども選ばないと思いながらも、時々目移りしなければとか思う僕を憎んでいる。
仕方ない世界を仕方ないと認められる人間らしさ、もっともっと自然に世界に存在したい。

好きな人に愚かな認めて欲しい、慰めて欲しい、かわいそって思って欲しい話をしてしまい、図星な一言を言われて顔を赤くして俯いて言葉を失って。
本当に情けないよ。自分自身の愚かさに嫌になった。
もっと伝えることが可能な言葉ってたくさんあったと思うんだけれど、まだ何もそこへと繋がった道が見当たらなくて嫌になった。
世界が狭いから、色々な人と出会って世界を知ろうよ。
頑張れって言われているから頑張りたい。
こういう言葉返すんじゃなくてもっと別の言葉をあなたに返せますように。
絶対無駄にしないよ、全て。
愛しているとか思い込んでいるとかのありがたさの感情をしっかりと返せますように。