太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

ガムシャラ

人がやりたいことをやる。思っていることをやる。社会や集団に対する反逆、遅延、歪み的な行為も其処には自然と含まれる。
一人が幸せに個々を努められたならば、世界に数多の種が散らばり、少しずつ幸せが咲いていくだろう。今日は尊く、明日は来るのは今日があるおかげ。その連続で続く日々で数多の幸福と不幸で精神を研磨させながら新しい明日へ未来を託していくのだ。そしてまた新しい明日が始まる。
幸福でしかない押し付けには反吐が出る。自然と幸福が浮かび上がる姿を我々は親しく思い、好きになる。真に幸福ではないのに幸福であろうと努めるのが勝手だが、それを人に押し付けるのは違うと思う。
現状にため息が出来るからこそ人は新しい未来を切り拓こうとするのだ。過去に戻るのではなく今日と明日へと進もうとするのだ。
何が今にとって大切かなんてわからない。くだらないレベルの視野でしか考えられず未来を切り開くことが出来なかった時代はその時代的な視点で未来を考えていく。私たちはただガムシャラに生きていくしかないんだろう。そうして世界は僕たちらしく出来上がる。考えも配慮も後でついてくる。その時様々なことが手遅れでダメになって、後悔して終わるんやろうな。歴史はいつだって繰り返す。人間の命はあまりにわかりきってる。それを越えるためには、人間でいられないモノにならないと不可能に近いわけで。すると現時点で、僕の現在の立場ではあまりに遠すぎる。問題はどのように物事と向き合って達成していくのかということだろう。どのように折り合いをつけて、進めるか。
まだまだ僕は何もわかっていないようだ。もっとあがき、もがいてガムシャラに世界についてわかること。それはなんて、なんて、人間的。矮小。それが使命か。この時代に人であることの使命か。前世代までの哀しみと笑みを受け継いだ我々のやることか。ガムシャラにやるしかない。