太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

生命を掲げて

この時間に生きている目的は自分自身を土台にしてやりたいことをやれる環境を創ること。
その為に30代ごろまで自分の水準を高める。やりたいことをやる為に必要なことだから。自分を濃く高める理由は僕自身がやりたいことをやる為に必要な人、場所、モノに出逢う可能性を高めるため。出逢う機会を高めつつ、モノに出来る能力を高めて行く。そうすればやりたいことはやることに変わる。
未来の展望にはワクワクするが、今どうして自分が選ぶ事業に身を投じているかには疑問符がつく。どうすることが僕にとって一番いいのか考えている。
どうして今の組織に所属するか。文化がなかった僕でも文化活動に関われる。人とコミュニケーション取らざるを得ない環境。先ずは動作を身につけることが必要だった。そしてそれに関してはある程度計算が出来るようになった。目標は達成されたように思う。次と考えると私は私のしたいことをするべきだと考える。しかし他者に転じることは無駄である。私の目的は私自身への隷属であるから他者に転じるのであれば今ここにいることと変化はない。土台を創るための行動は今此処でも出来る。自身の活動方法を見れば改めて座に伏す間合いでもあるまい。ならばまだ此処にいるべきなのだ。私は私自身の土台を創生するまで今此処で雌伏を凝らすべきだ。
他者との関係に於いて今までは練習から試合への動きを把握することに努めていた。これからは試合でクリティカルヒット出来るように接し方を変えて学んでいきます。
私が真に接して行くことが可能な存在と向き合えるように努めたい。全ての存在に対して愛すべき存在があるような理想を掲げて起きたい。自然と時流が出逢えるモノと出逢いないモノを分けてくれるから自分の体勢は崩さないでおきたい。
僕としては今まで憧れていた方々から受け取ったモノを掲げて其れを護れて自分自身に伝えられるように生きていくように調整できればいいなと思う。時流だけが敵で、コイツには負ける時には負ける。その時は諦めるしかないなって思えるぐらいの体勢にしていきたい。
人は尽くして漸く笑えると思う。尽くしてもないのにやりきったように何かに言葉なんて与えられない。僕はその時に与えられる人になりたい。だから生きることを掲げる

僕が今目の前にいる人に対してどのように振る舞い、接して行くかについてはうまく言葉には出来ない。僕はまだ巧く頭脳で整理出来ていない。
目の前の人間に対して他人だと理解して、そのように接するにしては他者じみても不愉快じみてもないから。私はこれからの為に如何にして自分の中で整理して接していけるかも大切。私が大事に出来る場所があるならばそこを護ってあげたいから。