太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

片想いに於けるバグ

物語を想起させるピアノソロの演奏のように世界がたゆたゆと進行するように祈りたい。
孤独であることと孤独であろうとすることは決定的に違う。人生というありきたりすぎるストーリーに於いて、個人にとって歪んだストーリーは必然的に起こり得る喜劇、或いは悲劇。
僕は自分自身がすっきりと、はっきりと、テキパキと、清廉であって欲しいと願う。願わなければ届かない理想である。
偏愛の成就にあたり、そのような性質の希望は容易く叶うものではない。自分自身の性欲と清廉の平衡感覚は頭脳で支配する域を超えて、キャパオーバーである。
清廉であろうと思っても、人を想うことが届くことを祈念し、届かない現状にやきもきとし、なんとか少しでも可能性は得られないだろうかと今の自分で可能な方策を講じるので、そしてそれは大体ろくでもない結果に終わる。
不義理の進行も断念も、僕としては話は違う。真剣に堅実に誠実に向き合う。今の話を引く気はない。だからといって飽きれるほどの程度が低い地団駄を踏む子供のような僕を態度として示したくない。物事の判別のついた倫理観のある人として目の前の愛を成就させたいのだ。
何かが間違っている。足りていない。欲深い。僕はもっと早く僕のことを理解して、彼女と向き合いたい。その方面で早く賢くなりたい。大人になりたいんだ。
なんだか泣きそうな気持ちを抱えたり、上手くいかなくて怒りそうになったり、相手のせいにしたり、辛かったり。いろいろな気持ちが僕という幼さを遮断して、もっと上手くいきたいのになぁという気持ちを萎えさせる。本当にやりたいこと。思ってること。早くできるようにしたい。ずっとお話ししたいし、微妙な気持ちでいたくない。幸福でいてほしい。不幸が少なくあってほしい。不幸が幸せに還元されてほしい。輝いてほしい。そのままでいてほしい。