太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

『其れは君の想像だよ』

「其れは君の想像だよ」
ありがた迷惑か、はたまた本当の迷惑か。僕が話した内容に対して相手の返答は其れだった。
僕はその人に期待をした。自分は十分やったからと若い人に自分のポジションを与えようとする。もっと貪欲に、強欲に世界を切り拓くにはまだ身体は十分動ける、猶予があるというのにその人は夢、あるいは志の為に命の火を焦がし尽くそうという決心を果たそうとしなかった。僕が其れをやっているかというと違うが、其れでも僕は僕も含めてそういったことをやらなければならないと考えていた。
例えばもっと主体として立つための能力がある人間に対して期待していると伝えることは罪だろうか。もちろんそれがごく一般的な世界で羽ばたく為に創造された世界ならばそのような感想を覚えても不思議ではない。
しかし僕が伝えた言葉を受け止める人が活動する世界は羽ばたくための世界だった。羽ばたくことを諦めた、辞めた人間に未来はないと思う。もちろんその人はその人自身の速度で進むことを諦めてはいないのは事実として抱えているのだが。
相手に響けと願うのは罪か。響くためには僕がもう少し賢くならなくてはならない。その人にとって本当に大切にしていて、嫌いなことはなんなのか。はっきりと理解していなくては伝わる筈もない。
私はそれを確実に実行できると信じている。その結果が出るまでは、諦めるもくそもない。僕はまだ未然なのだ。当然まで高めたいのだ。
人がちょっと不完全な形で物事に対してため息を吐くしかない状況を僕は嫌ってる。そんなことは反吐が出る。言われっぱなしが一番腹が立つ。言うやつの傲慢な態度をよくそのままの話にできるもんだなって怒り沸く。私ならば相手に対して言い返す。やり返す。どうしてそうやられっぱなしなんだ。あり得ない。
人間はお互いに尊重し、愛し合うべきだ。少なくとも今の僕はそのように思ってる。互いに許し合ってるならば何をしようと勝手だ。でもそこにもやもやしたり、むにゃっとしたり、ぐつぐつした感情があるならば、まだ未然な関係なんだよ。
僕はその人がそのような立場にいるようでならない。そう言う気持ちと向き合って戦ってほしい。これはその人にとって僕と言う不純な要素でしかなく、受け止める理由なんて特別なものはない。だから、あらっ、そうって草薙素子のように切り捨てても問題ない。
実際のところその言葉がどのようにして生まれたのか僕は知らない。わからない。僕は僕のことで精一杯だから、でもわかってほしい。理解してほしい。切り拓いてほしい。この程度ではないはずなのだ。それは凄く傲慢で身勝手で審美眼が濁っているのかもしれないが。それでも今の僕の気持ちであることは事実なのだ。
義務とは可能性だ。新たな道だ。その人には新しい道も歩んでほしい。今までももちろん大切にしながら。
だから、そのようにしてまるで違う世界に私は居るというふうに僕の想いを切り捨ててしまうのは辞めて欲しかった。あまりにも僕はやりきれないし、辛い。伝わらないことも伝えられないことも何もかもが許しがたい。
僕は僕と言う存在が思いついた世界観を伝わるようにこれからも努めたい。本当のところの想いは絶対に伝えることは可能だ。僕はまだ自分を成し遂げられたなんて思えない。まだ何もできないのに、何かできたなんて御伽話にも至らない愚かな話なのだから。

その人にとって今やっていることなんて殆ど何度かやり果てたことなのだ。同じことの繰り返し。新しい虹を描いてほしい。色を産み出してほしい。僕の願いは其れで、早く其れを伝えられるような人間になりたい。そのことが当たり前の世界であってほしい。

今、あなたは前進していますか。僕が結局のところ理解したいのはそういうところなのだ。其れが実現しているのならば僕は何もいうまい。今は感じないから、見当はずれかもでも、言う。いつかしっかりちゃんと解りたいな。うん。