太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

不健康な組織

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コロナウイルスに関して、私たちは良いことをしているからかかりません。かかったとしたらいいことをしていないからだという話を聞いたことがある。なんとも不思議な態度のように思う。
あまりに自制が利き、個人という光が周りをそれに相応しいものになり得た世界ならばそれは本当に叶いそうだ。しかしそれを話すものの言葉が私のような向こうからすると不信者のようにものに届いてムッと思われている時点でそれは叶わないように思われる。何故なら私は彼等の理想形と違って、コロナウイルスに罹る可能性を秘めたものたちと活動しているからだ。
そもそもどれだけ予防をしていても罹る可能性がある病気だ。そして、それに罹ったところで予防に気を配っているならば、どうしようもないはずだ。
最初の言葉を発するものが一体どのような世界観で話しているのか。私にはわからない。社会に自然的な趣で組み込まれた感のあるコロナウイルスそれに罹らないというのは、罹らないでいいだろう。しかし世の中にはそのようなユートピアの世界の外に疫病が蔓延する社会はあるのだ。その病を完全シャットダウンして、勝馬に乗ってるんやからって、無視してしまう態度が僕は嫌いだ。
悪や罪を外部に吐き出して積み上げて、お前は敵だと罪を背負ったものたちと罪や悪から引きずり出して、罪や悪を抜け出せなかったものは罪悪と認定して燃やす。そのものたちは燃やしてしまうかもしれない。罪悪となった人間を人間と認めず、焼き尽くす。私はその態度が怖い。
こうやって少し考えを進めると、コロナウイルスに罹らないと話すものの態度が強がりで士気を高めるためでしかないとわかる。しかしなんて俗世的に生きようと努めていることか。理想的、修業僧的に堅実に生きようとするものの姿とは思えない。そのような虚実を挟み込むしかなかったのか。しかしそれを盾にそうではないものをすり潰そうとする組織の風潮が生まれる。そうならざるを得ない人の業が恐ろしい。許しがたい。
僕はやはり掛かってしまう可能性を秘めているわけだから、掛かっても仕方なし、できる限りの対策をとって備えるだけ備えよう。掛かったら掛かったで、頑張ろうぜって話してくれる方が現代において健康な組織だと思うだれかを強く非難するような態度が偏ってる組織は不健康だと思う

いずれにしろ私は私自身とそれ以外についてもう少し考えを深めていく必要があるように思う。曖昧ではなくはっきり毅然と自分の中で分別がついた状態で世の中と対話を試みたいものだ。