太陽、桜の花

桜の花は無限であり、永遠でありいずれ散る。そしてまた咲く。太陽の遠さ、その輝き。私は追い続ける。

駆け抜けろなんて伝説の幕開け

今日から毎日ブログを更新する。
どれだけ体力がもつことやら。
行動と目的が相反しないようにな。
何が大切か忘れないようにな。忙殺されないようにな。
行為の意味を忘れないようにな。

新しさを求めること。
それは自分であろうとすること。
「自分らしさ」とは。
新しくなる度に過去が産まれる。
過去は私の存在そのもの。私が私を決定することは烏滸がましいと過去は辱めないでと叫んでる。我々は常に微笑ましく若しくは残念そうに過去を見つめている。
ピリオドを打ちまくる。ダラダラと時間を過ごしても何も与えられない。今はかけがえないが、今はどうしようも無い。変わろうとしても変えられない時間の価値。しかし見えかたは変わる。使い方は変わる。それだけが僕たちにできること。
何兆にも渡るピリオドを打ちまくる。そして総てを選択する。間を開けるか、開けないか。考えすぎだが。考え過ぎた先に茫漠は起こすことができると思う。超感覚の使い手になりたい。何処まで出来て、出来ないのか。時間に溺れ過ぎると言葉のフレームですら無意味となって私はただ生きてますよ本当ですよってなって、総てただの言葉状態になりますが今そのような状態に近いです。ほぼほぼ喋っている感覚で文字を残していってます。僕はそれこそリアル、成すべき言葉やと思うのでこれを極めていきたい。
こういう風に生きれば、日常生活はかなりのんびりと過ごしているので、日常生活で創られた日々の営みが簡単にひび割れて何もかもできねーって感じになります。このスピードなりの家事もしらんといけねぇ。
出来ねえではなく、出来ていくことを考えたい。稽古に向かう電車で今これを書いていますが、乗り換え、めんどくさい。二回も乗り換えします。そのまま行けばいいけれど、そうはならない。ピリオドを撃たれた気分。出来る限り一直線であとは何もなければと思うけれど、今こうやって移動することもかなり無茶なことをしているんだから、今の生活は贅沢なのにそれを普通だね、生きる当たり前なんだねってある種感じないと行けないけれど、そうでもないんだから、私を襲うこの浅薄の苦痛も享受していくべきなんだろうね。
「しゃーない」
という言葉を僕は使いがちだけど、これを辞めたい。諦めないようにする。諦めない。逃げないではなく、闘う。姿勢。
どのようにしたいか。今の状況を。どのような表現でいたいか。私になりたいか。私はなんなのか。恐るべきスピードで駆け抜けた先に映った私を人は私と呼ぶ。私が私を名乗るなんて百年早い。人のピリオドを感じたい。私は私の外にも出ないほど怠惰に生きている。日々を台無しにしている。駆け抜けたい。
今日はこれぐらいにしよう。しないと行けないことは山ほどあるけど逃げがちだ。